2019-02-15 第198回国会 衆議院 本会議 第6号
我が国は、国土の七割を森林が占めており、日本人は古来より、山の神々をあがめ、畏敬の念を抱きながら、山林、川、里、そして海へと連なる自然の恵みを享受し、木材を燃料や建材に使いながら農耕を営み、国土の隅々まで村落を発展させてきました。 森林は日本の成り立ちそのものです。森林資源を適切に管理し利用するのは日本人の英知そのものであります。
我が国は、国土の七割を森林が占めており、日本人は古来より、山の神々をあがめ、畏敬の念を抱きながら、山林、川、里、そして海へと連なる自然の恵みを享受し、木材を燃料や建材に使いながら農耕を営み、国土の隅々まで村落を発展させてきました。 森林は日本の成り立ちそのものです。森林資源を適切に管理し利用するのは日本人の英知そのものであります。
次いで、朝倉市山田地区の山の神ため池決壊現場を視察いたしました。 山の神ため池は、貯水量約七万立方メートルの農業用ため池でありますが、流木がため池を破壊したことにより大量の水とともに土砂、流木が下流に流れ込み、大きな被害が発生しました。現在も復旧されず、中央部にわずかな水流はあるものの、土砂が堆積し、流木が散在するのみの状況でありました。
平成二十五年度から二十七年度にかけて実施しましたため池一斉点検では、都道府県や市町村が主体となりまして、設計図書や測量による堤体諸元の確認、目視による堤体や施設の点検、現地調査や既存資料による周辺環境や下流状況の確認などによりまして、詳細調査の優先度を判断するための評価を行ったところでございますが、委員御指摘のとおり、山の神ため池では詳細調査の優先度が比較的低いと評価されていたものでございます。
ダムの説明は今の御答弁で大体わかったんですが、今回、同じ朝倉市に山の神ため池というのがあって、これは完全にぶっ壊れてしまったんですね。これは、流木、土砂が押し寄せたということによってため池が破壊された。そして、こちらは下流に大きな被害をもたらしたということであります。
次に、朝倉市山田地区に赴き、貯水量約七万立方メートルの農業用施設である、山の神ため池の被災現場を視察しました。 小川知事及び県当局の説明によれば、流木がため池を破壊して大量の土砂とともに下流に流れ込み、三名の方が亡くなられたとのことであります。現地に水はなく、土砂が堆積し流木が散在するのみで、ため池はあったのかと思うほど跡形もない状態でありました。
続けて、九枚目以降の写真御覧いただきますと、これ、我々が視察した山田地区の決壊した山の神ため池の一キロ足らず上流のところで、先週土曜日に私が行って撮ってきた写真ですが、御覧のように、ふだんは水が引けば小川のようなんですよ。ここは一面見事な柿畑でした。これが今回の豪雨で川ごと園地が持っていかれてしまっている。
人が立ち入るのは里山まで、しかし奥山に入る必要もあるから、奥山に入るときには山の神々に礼儀を尽くして入るというルールもありました。今上映されている「WOOD JOB!
明石大橋をつくるときに、海にがんがんがんがん基礎くいを打ち、また、山を削って土地をつくり、その山の神と海の神が怒って大震災が起きたと。このように一部お年寄りが、笑い話のような話がございました。まさしく私は、あの現状がこの今の社会において、はっきりとこの脳裏に浮かんでまいりました。
いずれも、箱根駅伝でいえば、本来、往路五区でいよいよ山の神登場かとなっている場面であるべきところ、一区か二区をいまだとぼとぼと歩いているようなもので、あきれ返るばかりであります。有言実行内閣はおろか、マニフェストが虚言だったとみずから実証されているだけなのではないでしょうか。菅総理の答弁を求めます。
山には山の神々、海には海の神々が存在し、無数の生命体の生への喜びの声を圧殺し、沖縄の大地にみなぎっている平和への声を全く無視しているからであります。基地を造らせてはいけない、自然環境を守り、戦争につながる米軍基地を造らせてはいけないという民衆の誇りと勇気ある抵抗に遭っているのであります。勇気ある抵抗を背後から支えているのが沖縄戦で無念の死を押し付けられた二十万余の平和の礎に眠る御霊の声であります。
山の神様に対して敬う心、感謝の気持ちを込めて使う言葉なんですが、正五九。ショウは正月の正、ゴは五月の五、クは九月の九、正五九です。これは、山の神様が五月に山からおりてきて田んぼの神様になるんです。そして、田んぼの神様が九月にまた山に帰るという言い伝えがありまして、正五九というふうになっております。要するに、山のおかげで田んぼができるという先人の教えだと思うんですね。
○亀井郁夫君 最後に一点だけお聞きしたいんですが、これまでいろいろ議論する中で、宗教的情操教育を子供のときから教えていくべきだという、これは党に関係なしに、特定の宗教に関係なしに、山には山の神様がおる、川には川の神様がおるというようなことで我々はやってきたわけですけれども、御飯食べるときには手を合わして拝むというふうなことでやってきたわけですが、そういった宗教的な情操教育を子供たちに教えるべきだという
私たちはもう子供のころから、この地方でも一緒だと思いますけれども、山には山の神様がおると、川には川の神さんがあると、どこにも大自然の中には人知を超えたものがあるんだということを教えられ、御飯を食べるときには手を合わして感謝しながら食べるということを教えられたもんで、そういった特定の宗派には関係しない形での情操教育ですね、そういうことをやるべきだと。
最初にちょっと聞きたいのは、この議論に対して宗教的な情操教育ということが書かれてないけども、これを法律の中に書き込むべきではないかという意見もあるわけですけども、特にさっき若林さんも話されたけども、長野は善光寺もあって、宗教的な教育というのは、情操教育というのはいろいろに行われているんじゃないかと思うし、私たちも小さいときから、山には山の神様がある、川には川の神様があると、大自然には人知を超えたものがあるんだということを
私たちは、山には山の神様がおり、川には川の神様がおり、水には水の神様がおると、すべてのものに神がおると教えられたわけで、家にも山の神というか、もう怖い神がおりますけれどもね。そういうことで、大変ですけれども、このことが政府案から姿が消えてしまったわけでございますから、そういう意味では、大臣には直接関係ないかもしれない。
○亀井郁夫君 宗教的情操教育については、特定の宗派について言うべきではないんで、そういう意味では全般的にいろいろやっていくんだということで考えておるわけですが、日本の場合にはどこにも神様がおるわけですから、だから家に帰ると山の神もおるということですから。 冗談はさておいて、そういうことで、この問題は真剣に取り組んでほしいと思っておったことなんです。御理解いただければいいと思います。
皆様御承知のように、マタギは北東北の厳しい自然の中で山の神を信じながら暮らし、古来からの伝統と作法を基に狩猟をなりわいとした人であります。
家の中にもおかみさんがいるだろうと、日本は山の神というのが一番大事な神様だということを最後につけ加えておけばよかったのになと言って、閣議が始まる前に、森総理と私は同期なものですから、若いときから、我、おれでやってきていますので、そういう私は言い方をしました。
山の神がいて恐ろしいぞと。私も何回か入らずの山と言われても入っておりますけれども、NHKでちょっと有名になり過ぎまして清流ばかりが強調されまして、この夏もたくさん県外から四輪駆動で遊びに来ていただきましたけれども、残していったのはごみばかりでありまして地元には金が落ちない。 実は、四万十川というのも増水しますと大変な暴れ川でありまして、そしていまだに川魚漁師もおります。
かつては九州でも三百を超える、四百を超えたんじゃないでしょうかね、大変な炭鉱がありまして、私も炭鉱のど真ん中に住んでおりましたが、どこの炭鉱に行っても山の神というのがありましたね。それで、あれは安全祈願をするし、一年に一回は祭礼をして霊を慰めたんだろうと思いますね。そこには必ず忠霊碑、忠魂碑というのがありまして、みんな大事にしたわけです。
ですから、そういう意味では、国で言えば各種大臣と総理大臣まで、山の神という言葉もありますので、いくのかなと思うほど女性というものは非常に大きな役割を持っているものだと思います。 そういう観点から考えますと、笹野議員の「女半分、男も半分」という本をちょっと拝見させていただきましたが、家事、育児の労働についてはその重要性は認めておられますけれども、一方で働き方が問題であると。
殊に私のじいさんなんかは、古い木がある山はちゃんと山の神様が古い木に宿って山を守るのだという素朴な信仰に生きていた、そういうことを背景にしての私の価値観からの要望でございますので、ひとつ大径木のある森林は今後なるたけ、なるたけじゃない、皆伐の施業対象からは除外していっていただきたいということをまず要望しておきます。
ところが、その途中のちょっと離れたところに山の神というのがあるんです。この山の神の民有林のブナ林を見ましたら大体三十五年物ぐらいです。この民有林のブナの林については私もずいぶん山を歩きましたが感心しました。整然と手入れされて大体このくらいに普通はなっておりましてね、結構同じ関係で民有林の皆さんが手入れするとブナは成長するんですよ。